こんにちは。
大学院博士課程の山﨑雄大です。
昨年12月、電子ジャーナル「PLOS ONE」に投稿していた論文が掲載されました。
この論文は、卒業研究で行っていた実験の一部を継続し、まとめたものになります。しかし、僕は現在博士課程ですので卒業研究を行ったのは既に3年? 4年? 前になります。
では、なぜ論文になるまで時間がかかってしまったのでしょうか?
論文掲載に至るまでの経緯と感想を、自分の反省や今後への戒めも兼ねてご紹介したいと思います。
そもそも、論文が学術雑誌に掲載されるまでには、いくつかの行程があります。
①データをとる、まとめる
↓
②論文を書く
↓
③学術雑誌に投稿する
↓
④編集者がチェック → 掲載不可。残念!③に戻る
↓
⑤査読者がチェック → 掲載不可。残念!③に戻る
↓ ↑
↓ → ⑥修正の指示 → 掲載不可。残念!③に戻る
↓
⑦掲載
おおまかにはこんな感じです。
掲載不可の場合は、別の学術雑誌に投稿します。⑥は、実験を追加したり、被験者数を増やしたりという大幅な修正を要求されることもありますし、文字の修正などの細かい修正のみの場合もあります。
今回苦労したのは、これらの行程ほぼ全部です。
まず、「論文を書く」ことに時間がかかりました。
初めて書く学術論文だったのに加え、英語で書かなければいけなかったため非常に苦労しました。
英語で論文を書いた後には、文法や表現に誤りがないかをチェックするためにネイティブチェックというものを行います。
時間と労力をかけて書き上げた論文が、赤字でびっしり直されて帰ってきたときは、正直萎えました。
論文を整えた後は、いよいよ学術雑誌に投稿します (2016年の夏ぐらいです)。
そして、、、
3日後にメールが返ってきました。
「この論文はうちの学術誌では掲載できない」の文章とともに。
愕然としました。
しかも、これが2、3回続きました。
こうなると、もうメンタルはズタボロです。
そんなこんなで、PLOS ONEに投稿しました。
この時点で2017年9月でしたので、すでに初投稿から1年が経っています。
そこから9か月の空白の時間の始まりです。
査読者にも回らず、ただただ時間が過ぎていくだけ。
やっと査読者のチェックが終わったかと思えば追加実験や統計解析の指示が盛りだくさん。
最終的には被験者数を倍以上にしました。
そして、なんとか12月にアクセプトまでこぎつけ、大晦日にジャーナルのホームページ上に掲載されたのです。
ここまでが論文掲載に至るまでの経緯でした。
ここから少し反省します。主な反省点は2つです。
1つは英語力のなさです。
海外雑誌に投稿する際には、論文執筆はもちろんですが、投稿規定も、投稿するためのホームページもすべて英語で書いてあります。
また、編集者や査読者とのやりとりも英語で行います。
ですので、そもそも書いてあることを「理解する」ということに時間を費やしてしまい、全体的な作業のスピードが遅かったことが反省点です。
もう1つは実験方法の構築の甘さです。
特に、被験者数は足りているのか、統計解析のかけ方は妥当か、など多くのことを査読者から指摘されました。
スタートが卒論の実験だったので仕方ない点はありますが、今後は査読者から指摘をされないような方法を設定しておく必要があると感じました。
最後に論文執筆に重要だと思ったことを2点あげます。
それは、「スピード感」と「メンタルの強さ」です。
査読者に指摘された点を修正するのは、正直しんどいです。
しかし、それを後回しにしてしまうと自分の首を絞めてしまい、後々余計にしんどくなってしまいます。
自分の中で期限を設けて素早く作業をすることが重要だと感じました。
また、メンタルの強さはなによりも大切だと感じました。
投稿中は編集者や査読者から様々な指摘を受けます。
時には、単なる批判ではないかと感じることさえあります。
しかし、それにいちいち落ち込んでいたら心がボロボロになります。
これらは、日常生活でも重要なことのような気がします。
今後も研究を重ね、論文執筆などの形で世の中に研究成果を還元できるように努めていきたいと思います。
長くなりましたが、以上です。
読んでいただきありがとうございました。
新潟医療福祉大学大学院 医療福祉学研究科 博士後期課程
https://www.nuhw.ac.jp/grad/field/doctor/major.html
新潟医療福祉大学大学院 医療福祉研究科 健康科学専攻 健康スポーツ学分野
https://www.nuhw.ac.jp/grad/field/master/hs.html
健康スポーツ学科
https://www.nuhw.ac.jp/faculty/health/hs/